
1: 名無しさん@おーぷん 2018/01/10(水)22:30:11 ID:Qlu
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https://twitter.com/daisukekumamon/status/947376042913677312大助❼熊本🐻鷹党⚾️7の会🐥会員番号44番⚾️@Daisukekumamon2017/12/31 16:57:04
主将になった2015年は、日本シリーズ直前にあばら骨を折って出場できなかった。今回は何とか無事にシリーズを迎えたいと、気を使っていた。そんな中、DeNAとの対戦が決まってからずっと「古巣との日本シリーズ」と言われた。余計な意識が入らないように、無意識にガードしていた自分もいたと思う。今はすっきりした解放感がある。
シリーズ前の共同インタビューで、DeNAとの対戦について問われ「どうでもいい」と答えた。日本一を争う舞台では、相手が古巣であろうとなかろうと絶対に勝ちたいし、その場に個人的な感情を持ち込む必要はない。だから、質問自体に意味がないと思った。
横浜には恩がある。高校(大分工)1年秋に左足のかかとの骨に穴が開く病で手術した僕を、ドラフト1位で指名してくれた。大学かプロか、進路でずっと悩んでいた。プロでやれる自信もなかったし、大学に行けば4年夏にアテネ五輪を迎えることができた。
当時の代表はアマチュア選手が中心の編成。縦じまで、左胸に日の丸が入ったユニホームを着たいという夢があった。ただ、プロで通用しなかったとしても大学には入れるけど、大学に行ってもプロになれるとは限らない。そう思ってプロ入りを決断した。横浜が足の病気を理解してくれていたことも大きかった。
■伸び悩み引退も…母の言葉で目が覚め
1年目で開幕1軍に入ることができたけど、5年目ぐらいまでは毎日必死だった。レギュラーをつかみかけては離す。そんなことが続くうちに、他球団では同い年の中島(元西武、現オリックス)や片岡(元西武、巨人、来季から巨人コーチ)が活躍し始め、置いていかれる感覚があった。
このままだらだらしていても仕方ないと思い07年オフ、野球道具をまとめて母(和美さん)に電話で「野球、やめるから」と言った。「もっとがんばりなさい」と言われると思っていた。だけど、違った。「あんたが好きで野球を始めたのに、嫌いになってまでしなくていい。やるだけやったんでしょ?」。ハッとした。本当にやりきったのだろうかと。
そのとき出会ったのが打撃コーチに就任した杉村繁さん(現ヤクルトコーチ)だ。それまで、打撃に関して人の言葉に耳を貸したことはなかった。駄目になってもいいと思っていたから話を聞けた。どんな打撃がしたいか聞かれ、前でさばいてカーンとホームランを打ちたいと言った。すると「ばかたれ! (前年まで所属の)ヤクルトはその打ち気を利用して、体を前に出させて打ち取ろうとしている」と言われ、驚いた。
それから、とことん練習に付き合ってもらった。試合前は必ずティー打撃。そうしているうちに結果も出始めた。レギュラーをつかみ、首位打者のタイトルまで取れた。翌年にはWBCにも出られた。結局、日の丸のユニホームを着る夢もかなった上に、世界一も経験した。あの2年がなければ、今の僕はない。
ただ、WBCでの息詰まる戦いの後、チームに戻るとギャップに苦しんだ。レギュラー、主力と立ち位置が変わるにつれ、自分の成績だけでは満足できずイライラが募り始めた。だけど誰も、チームが強くなるすべを知らない。「1人だけ打って調子に乗るなよ」「打てれば何でもいいのか」。そんな声が耳に入るようにもなったが、打たないことには勝てないでしょ…って心の中で思っていた。
■酸いも甘いも知った横浜の10年間
球団にも本拠地移転や身売り話が出て、落ち着かなくなっていた。FA権を得て、自分が選んだチームに行けるのはこれが最後だろうと思った。家にいたら電話が鳴りやまず、妻(翼さん)と軽井沢(長野県)に行って、静かな中でゆっくり考えた。優勝争いをしているチームがどういう感覚でプレーしているのか知りたかった。そして、野球を始めてから僕を見てくれた大分の人に、生で観戦してもらえる環境は九州のチームに行くことだと思った。
移籍1年目の11年、横浜との交流戦でブーイングを浴びた。覚悟はできていたけど、そのころはファンの反応が気になりネットの書き込みを見た。交流戦でMVPを取ったときに「横浜では縁がなかった」と言った。それが「横浜をバカにしているのか」とファンを怒らせた。すべてが、ホークスとベイスターズの比較論になることに戸惑いながら、自分ではどうすることもできなかった。
■今のDeNA選手 ファンに夢見せた 僕はできなかった
横浜を嫌いになったことはない。今でも自宅のショーケースに横浜時代の帽子やユニホーム、野球用具一式を飾っている。横浜に自分がいた証しだから。ただ僕がいたころの横浜と、今のDeNAは別物だと感じている。親会社が代わり、ユニホームやマスコットだって当時と違う。選手もほぼ入れ替わった。新しい球団になって人気が出たのだと思うと、ちょっとした寂しさもある。
今のDeNAの選手たちには、僕が横浜にいたときにはできなかった、ファンに日本一を夢見るチャンスをつくってくれて感謝している。だからこそ思う。次は互いにリーグ優勝して、もう一度日本シリーズで戦いたい。そのときは僕の中でもまた、新たな感情が生まれるのではないかという期待があるから。
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