
1: 風吹けば名無し 2018/10/01(月) 05:06:48.83 ID:VGH5fWfx0
続きを読む
将来にも必ず役立つ経験だから、と指揮官は田中に伝えた。最初は1軍昇格したベテランへの短い期待の言葉だった。しかし、数日後の練習中に「やっぱり正式に肩書を付け、みんなの前で紹介したい」と転じたという。今回、ラミレス監督がチームマネジメントする上で田中の力を頼った形になる。開幕ダッシュに陰りが見えたチームは、貯金を使い果たしてBクラスに落ちていた。
その経緯を、青山道雄ヘッドコーチが述懐する。そこには首脳陣の田中に対する、どこか特有な信頼が透けて見えた。「もちろん、いち選手の立場として頑張ってほしいけれど、どこかでわれわれ指導する側の力にもなってほしいというような気持ちもある。彼も役割を分かってくれていると思う。頼りにしていますよ」。
田中とラミレスの関係は深い。早稲田大からドラフト自由獲得枠でヤクルトに入団したのが2005年。そこからラミレスが巨人に移籍するまでの3年間、ともに神宮球場を本拠地として戦った。すでに日本で5シーズン目を迎えていたラミレスは、打撃やパフォーマンスの人気のみならず、チームの中心選手としての存在感があった。
田中はプロ2年目の出来事を今でも忘れない。
その年はレギュラー定着が期待されながら、打撃不振が続いていた。即戦力の評価で入団した焦りと2軍降格の重圧に押し潰されそうだったある日、試合前練習に向かう田中は通訳に呼び止められた。ラミレスが、どうしても話したいことがあるという。
神宮球場の右翼後方にポツンとある、クラブハウス内の会議室を予約してラミレスが待っていた。「タナカ。おまえは若くて素晴らしい選手だが、一つだけ足りないものがある」。そう切り出し、続けた言葉は田中の心情を的確に突いた。
「もしかしたら今日がおまえのラストチャンスかもしれない。結果がしばらく出ていない。俺にも若いときに経験がある。なかなか結果が出ずに空回りした。でも、おれは新しいゲームが来たら常に新しい気持ちで、過去のことは遮断して、前向きにプレーすることを心がけた。そうしたらうまくいったんだ」
田中は「分かりました。今日の試合、もしスタメンだったら思い切っていきます」と答えた。気持ちの吹っ切れというものを実感していた。その日、後先考えずにフルスイングした打球が、内野と外野の間にポトリと落ちた。
その成功体験を境に田中は安定した成績を残して正二塁手の地位を築き、翌07年にはベストナインを受賞した。「言ったら、俺の恩人のひとりだよ」と懐古する。
「ムードメーカーのような存在であり、チームリーダー的な存在。みんながそれぞれチームを引っ張っていく自覚というか。当時のヤクルトの先輩方はそういう選手が集まったチームだった」
古田敦也、土橋勝征、宮本慎也……。野村克也監督の下で黄金期を築いたメンバーがベテランとして残っていた。個よりも組織を重んじる伝統が、そうした面々によって着実に受け継がれていた。「時に厳しいことも言われたけれど、プロの世界で必要なことを教えてくれた。その中の1人がラミレス監督だった」。
※全文は下記リンク先より(おすすめ)
Deファン@DeNA_2017
⚾️田中浩康 前進守備の頭を超えるタイムリーヒット‼️
2018/05/16 18:57:12
阪神DeNA 5月16日 #baystars https://t.co/3z6ZxlzPEp
藩士@WellerGallagher
4/30 平塚 vs日本ハム
2018/04/30 12:50:13
6 大河
3 飛雄馬
4 田中浩
9 細川
2 西森
5 白崎
7 白根
D 武白志
8 青柳
P 櫻井 https://t.co/J6YRRhY351