変則サイド左腕はロッテを15年限りで退団後、ダイヤモンドバックス傘下マイナーを経て、昨季途中にDeNA入り。日本復帰後は12試合の登板にとどまり、現役続行を模索したが、かなわずに決断した。
今後は球団職員へと転身する。チームは今年からダ軍と戦略的パートナーシップを結んでおり、「両チームを経験しているのは僕しかいない。今までの野球経験を生かして、頑張っていきたい」。営業職への配属となる見込みで、日米8年間の豊富な経験を生かす

持ち味のキレの良いストレートとスライダーを中心に、中後は好投を見せた。終わってみれば、打者7人に対して三振2つ、ヒット性のあたり一本に抑えていた。
「ほぼ毎日病院に行ってたんですけど、会うたびに体も痩せていって、声も出ないようになって。最後はロクに声もかけられずに、何も言えず……悲しいですよね」
それでもなお中後は、ベイスターズのマウンドで投げる勇姿を、義父に見せる日が来ることを願わずにはいられなかった。メジャーでその姿を見せることはできなかったが、今度こそ結果で恩を返したい、自分が励ます番だ、そんな強い思いを胸に秘めていた。
だが無情にも、そんな中後の願いも叶うことはなかった。実の父親のように慕っていた義父が、この世を去ったのだ。癌の宣告を受けてから、わずか1カ月程度の出来事。やりきれない思いが口をついた。
中後は、ごく身近な人間に言っただけで、球団に伝えることを差し控えた。義父が天に召された日は、一軍に合流しての練習日と重なっていた。
一軍に上がれるかどうかの瀬戸際にいた中後にとって、大事な時期でもあった。中後の心は揺れていた。練習に参加すれば、義父との最後の別れとなる通夜にも葬式にも参列することは叶わなくなる。その気持ちを見透かしたかのように、妻と義母がこう言って背中を押した。
『せっかくもらったチャンスなんだから行ってきて。そっちのほうがお父さんも喜ぶから……』
「だから、練習に行くことを決めたんです。それに行ったおかげで、その3日後ぐらいに一軍にあがれたんですよ」と中後が反芻した。(続きはリンク先)
